2008-11-09

空中都市Machu Picchu



マチュピチュ(年老いた峰)・ワイナピチュ(若い峰)
なぜそう言う名前なのか?

15世紀前半スペインによりインカ帝国が征服されると、
スペイン軍はインカの都市をことごとく破壊し尽くした。
しかし2400メートルに造られたマチュピチュはスペイン軍に
見つかることなくほぼ無傷のまま残されていた。

そして400年が過ぎ去って、1911年ハイラム・ビンガムに
よって発見、ただし今はビンガムより9年早くペルー人が
発見していたとも言われている、





人口最大750人、この都市は通常の都市と違い、実は
インカの王族や貴族のための避暑地、別荘といった種類だった。
そしてなぜ滅びたかは、スペインの侵略を恐れ、住民が自ら
マチュピチュを焼き払った説が最近指摘されている。






とにかく僕らは昨日の移動とワイナピチュの疲れで、
この広いマチュピチュを見るのにだいぶ疲れ果ててはいたが、
この土地に石で作り上げた石材建築というのは本当に驚くほど
素晴らしく、今でも水が流れている石で作り上げた水路、家、神殿
どれもきれいに存在して(もちろん修復もしていますが)いかに
高度な技術を持っていたのかが分かった。

ここには写真が無いけどクスコの街にもインカ時代の石材建築
があり、「カミソリの刃を1枚すら通さない」と言われている
精巧に作られていた石壁もあり、12角、14角といった石が
ピッタリと寸分の隙も無く積み上げられていた。



とにかく360度山に囲まれ、その中心に浮かぶマチュピチュは
まさに空中都市そのもので、インカの王族のセンスを俺はかなり
好きになった、ただ単にわがままに景色が圧巻だからこの土地に
作ったとか、高地で切り立った崖下が両側に存在し、太陽観測
に最も適した土地だからとかはもう謎で良いのではないか、
今はこうして世界中の観光客がここへ訪れ、みんなが何かを思い、
想像して感動する、それ以上何も生まれるものはない、
あとは考古学者や研究者の楽しみだけだ、

俺はとにかくインカ文明の高度な石材技術に感動はしたが、
それ以上にこれを探し出した、ある意味冒険者の
ハイラム・ビンガムはマチュピチュを発見した時
いったいどんな気持ちでマチュピチュを見つけ出し
興奮し感動に浸ったのか、俺はその時の気持ちの方が
とても気になった。

こうして、今でも存在するマチュピチュの謎はきっと永遠に
見つからないだろう、
なぜなら、インカ帝国は滅びて、記録が存在しないから、
そして、あとは学者の意見のみだけだから。


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