2008-05-30

”Welcome to the Jungle”

4年前ここへ来た時に出逢った家族がいました。
まだ歩くことも出来ない1歳のレオと言う男の子を連れて
旅をしていて、いつか家族で世界旅行が出来たら良いなと
夢見ていたことがありました。
そんなお母さんのケイちゃんから赤ちゃんがそろそろ産まれるよ
と聞いていたのですが、偶然にこの場所でメールを受け、
「2児の母になったよ」と嬉しい連絡がありました。
おめでとうけいちゃん、ピグさん、レオ!
素敵な家族にまた一人仲間が増えましたね。
心からお祝い申し上げます。

パンチャンは、一歩外へ出れば町まで何も無いジャングルの
中にあり、毎朝草を運ぶ葉切り蟻の軍団の横を歩いて
レストランへ向かい朝食を食べています。
昼間は町で買ってきたハンモックを部屋の前に吊るし、
ただただ何もせず本を読んで自然と一体化になったり、
気が向くとジャングルの中を散歩して、響き渡るたくさんの音に
耳を傾け自然の奏でる音楽を聴いていました。
夜になるとジャングルの暗い道の中を可愛らしいキノコの電球が
照らしてくれ、僕らは毎晩やるライブを見に行き、
夜のジャングルの中に響き渡るジャンベの音を楽しみ、
音楽に酔いしれていました。しかしジャングルと言っても、
実際は目の前は草と木だけが被い茂り、
景色が良いのかと聞かれると、海のほうが良いと思うし、
それでも僕らは自然の音を聴いているのが本当に好きだった。
例えるなら自然の音楽で「大地」と言うジャンルがあるならば、
初めはプログレと思ってたが、良く深く耳を澄ますとクラシックに
近い気がして、ハンモックに揺られながら聞いているだけで、
自然の世界へとトランスすることが出来た。


2008-05-27

マヤの聖域 "パレンケ遺跡"

サンクリストバル・デ・ラスカサスを離れ、
ジャングルの真ん中にある小さな町パレンケへやって来た。
麻実子もだいぶ旅に慣れてきたのか、多少の厳しさでも弱音を
はかなくなり、スペイン語もだいぶ慣れてきて
現地の人との会話を楽しむようになってきた。
サンクリからはヒロとカズミッチと一緒に来ていて、
僕らはパレンケでサイクリストのミッチーとヒロシと
待ち合わせをしているので、
いつ着くか分からない二人を待っていた。

結局、その日の夜に4人で食事をしていたら、
彼らは僕らに合わせる為に雨の中を無理して走って来てくれ、
同じ日に着くことができた。
そして次の日に僕らは6人でジャングルの中にある、
パレンケ遺跡へ行ってきた。
パレンケ遺跡は数多く存在する遺跡では謎の多い遺跡として知られ、
「なぜ都市が放棄されたのか?」、「車輪が存在しないのに、
なぜピラミッドがジャングルに存在したか?」、
そして最大の謎がパレンケの王達は宇宙人だったと説を
唱える人まででてきた。
なぜ宇宙人かと言うと、碑文の神殿から発見された石棺の蓋に、

宇宙船を操縦しているように見えるレリーフが
残されていたからだ。たしかにここはパワースポットらしき
何か特別な力を感じるし、ドクロのレリーフやマヤ文明の
怪しいレリーフが数多く残されていた。
ちょうど観光客も少なかったから、
みんなでチャネリングをしてUFOでも呼びたかったが、
日中で日も明るく暑くてそれどころではなかったので、
僕らは見学だけして足早に宿に戻った。
それでも、この遺跡は数多く見てきた俺の中ではダントツに好きな
遺跡の一つで、見渡すかぎり地平線のジャングルは、
アンコールワットに沈む夕陽と同じくらい綺麗に見えた。

2008-05-26

”Private Revorution"

"EZLN・サパティスタ民族解放軍"
90年前にメキシコ革命を主導し土地と自由を求めて戦った
革命家ミリアーノ・サパタからその名を取っている。
男中心で始まった革命家達は3割の女性も活躍し、
「全ての人の自由」「正義」「民主主義」を求めて
今もメキシコ政府と戦っている。
1994年1月以来言葉を武器にしてインターネット発信で訴え、
今は世界中の人々に支持を得ている。
チアパス州住民の1/3はマヤ系先住民で、
主に農業を営み生活している。
天然資源には恵まれ石油やガスや森林資源も採れるのだが、
メキシコでは最も貧しい州である。「資源が豊富なのになぜ?」
現在、水も電気も通っていない生活をしている人達が
たくさん存在する。「先進国に変わりつつあるメキシコがなぜ?」
住民の半数以上が最低賃金、一日400円以下の収入で生活を送り、
スペイン語の読み書きが出来ない人達も3割いる。
多くの住民は現在もトツィル語(マヤ系インディヘナ)を話す。

彼らは俗に言うゲリラで、
言葉を武器にしてインターネットで戦っている。
それでも自治区の周りにはメキシコ政府軍の軍隊と、
反サパティスタが警戒して毎日包囲している。
俺は以前旅をしていた時にメキシコで出逢った
鉄さんの言葉を思いだした。
「プライベート・レボリューション」。
世界が変化しても、
変化することの出来ない国がたくさんある。
世界だけではない、地球自身もそうに違いない。
一人一人が変わらなければならいはずだ。
「プライベートレボリューション」

「ミリオテ」、君、ここにいるね、
「ミリオネ」、うん、ここにいるよ。
サパティスタの挨拶の言葉。

2008-05-22

石のように固い意志 ”Zapatista"

サンクリストバル・デ・ラスカサスへ来て4年前に
行けなかったサパティスタ自治区に行ってきました。
この団体はメキシコ政府と戦っている国民が集まる村であり、
このような村がチアパス州に限らずメキシコ国内には
多数存在します。
僕らが行った場所はオベンティックと言う村で、
入り口には必ず見張りが立っていて、男性は目だし帽を被り、
女性は口にバンダナを巻いて立っています。
僕らはその立っていた人達と第一次面接をしました。

この団体は遊びではなく本気でメキシコ政府と戦っている組織で、
僕らなりに数日前から色々と勉強して来ました。
一時面接と言っても「何処から来たか?」「滞在目的は?」
「国籍は?」「どこかの組織に入っているのか?」とか、
簡単なことを質問され、
これに答えて初めて僕らは入り口を通してもらえました。

僕らは入り口を通り小屋の前で少し待たされた後、
覆面を被った男性に呼ばれて部屋の中に入りました。
部屋の中では初めにパスポートを見せ、先ほど聞かれた事と
同じような質問をもう一度され、サインをしてから初めて僕らを
受け入れてくれました。途中スペイン語なので会話が途切れたり
もしたけど、彼らは決して嫌な顔など見せず、
分かりやすく説明し直してくれました。

そして次にもう一度僕らは別の部屋に案内され、
その部屋では現在彼らが戦っているメキシコ政府についての事と、
村内での規則を教えてくれ、僕達からのいくつかの質問も快く
聞いて答えてくれました。
全てここまでに会った人達は男性は目だし帽を被り、
女性はバンダナを口に巻いていて、
村内の人物は絶対に写真を撮ってはいけないと言われました。
しかしここだけなら写真を撮っても良いと言われたので、
緊張する手を抑えながら写真を撮らせてもらいました。
一番上の写真はその時に撮らせてもらった写真です。

初めはもの凄く緊張していたが、スペイン語を話せない僕らに
優しく話しかけてくれたり、目だし帽から覗かせていた目は、
決して屈しない強さのほかに、時々笑った時に優しい瞳を
覗かせてくれました。その後は僕らも緊張がほぐれ村内を散歩
してたくさんの施設の中を覗きながら歩きました。

「僕らは偽善者かもしれない」きっとそうだろう。
ここへ来て何かをするわけでもなく、
ただここの現状を知ることだけだった。
若い時に働いていたJohnJohnの安藤さんがよく言っていた言葉で、
「日本人だから何か出来ることをしよう。」
笠木さんはきっと、ここで彼なりの何かをしていたのだと思う。
僕らは何も出来なかったけど、こう言う場所が現在も存在することを
ぜひみんなにも知ってもらいたい。
帰りの僕らのバスの中は終止無言だった。
本当にある世界が目の前存在していたから。

2008-05-18

ゲストハウス”CASA KASA”

サンクリストバル・デ・ラスカサス、通称サンクリに来ました。
この町はメキシコのチアパス州にあり人口7万人、
標高2100mに位置する石畳に包まれた独特の雰囲気の町です。
僕らは元全共闘の左翼活動家で日本を離れた後もキューバ、
中南米を旅して、メキシコのこの地で革命家として現役で戦っていた
故 笠置華一郎さん、残念なことに2年前に亡くなられ、
メキシコではペンションアミーゴに続き有名な宿”カサカサ”に
お世話になることになりました。
今は管理人が3カ月おきに変り4年前と変らず僕ら旅人の
停留所としてみんな泊まっています。
そして前回は行くことの出来なかった、
サパティスタ(今もなおメキシコ政府と戦っている)に
今回は行ってきます。
今は雨季が近づきサンクリの町は毎日雨が降ります。
サンクリの町は雨が似合う町なのか部屋の窓から外を眺め
雨音を聴いているとなんだか心が落ちつき、旅の疲れが
とれていく感じがします。
「天国にいる笠置さん、覚えていますか?」
今回は夫婦でお世話になっていますよ。

2008-05-15

「オワハカの一日」

オワハカは3日間の滞在だったけどフェスティバルの期間中で、
いろんな場所でイベントが開かれていてダンスを見たり
音楽を聴いたりして、充実した楽しい時間を過ごすことができた。
町を歩いていたら長綱夫妻にも偶然逢ったり、カズミッチやヒロにも
出会いみんなでオワハカ名物伸びるチーズとモーレネグロを
食べにレストランに行った。そんなには大きくない町だが、
4年前と少しも変らず綺麗な町並みが残っていた。
一番の印象はセントロで生演奏の中に踊っていた人達で、
本当に気持ち良さそうにみんな楽しく踊っていました。
日本ではあり得ないことなんだろうな?

2008-05-11

”ゲラゲッツァダンス”

タイミングが良かったのかオアハカの夜は毎日がフェスティバルで、
何のフェスティバルか分からないけど、毎昼夜どこかでイベントが
開催されていた。たぶんオワハカの町興しとかだと思うけど・・・
その中でもお金を払ってみようと思っていたゲラゲッツァダンスが
なんとフリーでやっていた。
今回オワハカで見てきたフリーのダンスの中ではダントツに
盛り上がっていて、色鮮やかで見ていてもすごく華やかに思えた。
踊っている時の生演奏の楽器隊もかなりレベルが高く、
それに合わせてタップが入り、途中から観客も参加してみんなで
踊っていた。終わった後も観客から拍手喝采で本当にみんなが
楽しんでいたのが心から伝わりました。そんな気分になったので
僕らも夜の道を二人して踊りながら帰っていきました。

2008-05-10

「崖の上の天然プール」

今日は午前中にミトラ遺跡を見学した後に天然プールがある
と言うイエルベ・エル・アグアに行って来ました。
この場所はミトラ遺跡から少し離れた山の中腹地にあり、
山道をピックアップトラックで行くという少しだけ僻地な
場所にあります。ピックアップトラックで行くのですが、
その発着所まで麻実子は初めて乗るというタイでは有名な
トゥクトゥクに乗って行きました。

ピックアップトラックに乗り換えた後の山道はすぐ横が
崖という恐ろしい山道をひたすら2時間近く走り、
シティーから来た僕らは今回初めて見た広大な景色を眺めつつ、
なるべく崖下を見ないように楽しんだ。
今思うとあの山道は相当怖かったです。しかしその向こうには
見渡すかぎり山で、その向こうも山、またその向こうも山、
山には雲の影が流れ空には白い雲とコンドルなのか
大きな鳥も気持ち良さそうに空を舞っていた。

そんな景色を半分ビビリながら眺めていると、気がついた時には
空中プールがある公園へ来ていた。そこからは公園内を20分
くらい歩き、水着姿の観光客とすれ違いながら本当にこんな場所に
あるのかと不安になっていたが、ついに空中天然プールを発見した。
たしかにすぐ下が崖になっていて、崩れたりしないのかと、
疑ったりもしたが、メキシコ人の観光客がみんな気持ち良さそうに
泳いでいるので、俺もそれならばとパンツ一丁になり、
あまり綺麗とは言えない天然プールで泳いでしまった。
気がついた時には、トラックで一緒だったイスラエル人のアロンと
飛び込みを競り合っていて、「俺は頭から飛んだぞ」とか、
「もっと高い場所から飛んだぞ」と二人して小学生張りの争いを
繰り返していた。アロンとはそのせいか仲良くなり、
帰りも3人でヒッチハイクをしてオワハカまで戻りこれからもお互い
良い旅が続くようにと固い握手をして別れた。

"Iglesia de Santo Domingo"

「サントドミンゴ教会」。
1575年から約1世紀をかけて建造された教会。
ただ一言、「本当に素晴らしい教会です」。
前回も訪れたはずなのに記憶にはほとんど残ってなく、
今回再び訪れてみて心から感動しました。
今まで数多くの教会を見てきたがこれ以上の教会は見たことがない。
教会と言うかここは美術館と言って良いほど外観からは
想像できない内装で、もの凄く贅沢に「金箔、木彫レリーフ、
絵画、宝石」が天井から全ての壁に散りばまれ、
これ以上の豪華さはないだろうと思えるほど豪華です。
1世紀かけて築き上げただけあり手作りの温もりと、
計算されたバランスと全てが完璧の気がした。
正直俺も麻実子も驚きと感動で胸いっぱいになりました。
もちろん教会として今でもお祈りに来ている人達もたくさんいます。

4年前に訪れたときは一人で祈りましたが
今回は麻実子と一緒に祈りました。
4年前何を祈ったかは覚えていないが、
今回はたくさんの事をお祈りました。
「僕ら家族のこと」「つい先月生まれた甥っ子の優希のこと」
「僕らの仲間のこと」「出逢った旅人のこと」「僕らの未来のこと」
全てが暖かい未来に包まれていることを祈りました。
それ以外にもつい先日大事な友達のお母さんが亡くなりました。
始まりがあれば終わりがあるように、出逢いがあれば
別れもあるんだよ。俺の大好きな言葉で
「名残惜しさは見方を変えれば暖かい」。
大丈夫だよ、お母さんは必ず天国から見守ってくれてるよ。
ベーグル先生、笑顔を忘れないでね。
あなたの笑顔で何度も僕らは助けられました。
この場を借りてご冥福申し上げます。
きっとこれ以上の教会は世界にもたくさんあると思うけど、
僕らはなぜがこの教会に心を洗われた気がしました。


2008-05-08

愉快な仲間達”Amigos"

まさかメキシコに入り初めての宿で3週間も泊まるとは
思ってもいなかった。それもこれも宿に泊まっていたメンバー
に恵まれ、夢にも思っていなかったメキシコのCMに出演して、
3週間があっという間に楽しい時間として過ごすことができた。
サイクリストのミッチーと管理人水野君の誕生日を
みんなで祝ったり、気の合う仲間達とタスコに遊びに行ったり、
本当にたくさんの旅人達と出会い色々と勉強させてもらった。
この先もまた会うと思うけど、長綱夫妻やカズミッチ、ヒロシ、
ヒロ、そして出逢ったみんなこれからも良い旅を続けて下さい。
もちろん僕らもまだ始まったばかりだけどしっかりと楽しみ、
たくさん学んで旅を続けて行きます。
噂では賛否両論のペンションアミーゴだったけど、
俺は以前にも泊まったことのあるペンションアミーゴが
やはり大好きです。初めての麻実子もたくさんの仲間を作り、
素晴らしい時間を共に過ごすことが出来た。そして、
僕らはCMの撮影も終わったので次の町”オワハカ”へ
向かいます。この町は以前行ったことがあるので
どういう風に町が変っているか楽しみです。
予定では何日か滞在してから、楽しみにしている場所サンクリ、
パレンケと進んで行きます。パレンケではサイクリストの
ミッチーとヒロシと待ち合わせをしているので
また一緒に遊ぶ予定です。
それまでは麻実子と二人で少しずつ旅人夫婦らしく
成長してメキシコを満喫していきます。
やっと都会を離れて旅らしくなっていきますよ。

2008-05-07

”Estadio Azteca” 世界最大のスタジアム

1966年にメキシコオリンピックのサッカー競技場として建設された、
世界で最も巨大なスタジアム、収容人数は11万4千人で、
1970年、1986年と2度のFIFAワールドカップが開催され、
メインスタジアムとして決勝戦も行われたスタジアムです。
僕らはそのスタジアムにメキシコリーグを見に行って来ました。

アステカスタジアムへ行く電車の中はすでにユニフォームを着た
サポーター達で埋め尽くされ、駅に着いてみるとあまりの人の
多さに驚いた。これが国際試合だったらもっと人は膨れ上がる
だろうし、駅周辺やスタジアム内はどんな迫力になるのか
想像するだけで恐ろしくなってきた。

入場料は25Peso/250円とかなり安いが、
ビールは50Peso/500円とチケットの倍の値段をして
さすがビール好きの国と少々驚いたが、
チケットがこれだけ安ければ家族連れでも来れるし、
気軽に来れる値段なのできっとこれが人気の秘訣なんだと思えた。
お客は子供達から大人まで幅広く応援に来ていて、
熱狂的なサポーターもたくさんいるし、
サッカー大国メキシコを改めて感じることが出来た。
もちろん試合のレベルも十分高く、
少し前に南米チャンピオンとしてトヨタカップへ来ただけあり、
見ていて飽きることはなかった。ただ残念なのは
スタジアムが大きいせいか、お客が少ないと少し迫力にはかけるが、
きっとこのスタジアムがサポーターで埋め尽くされたら、
選手はそうとう興奮しスタジアム全体は盛り上がるのだろう。
LUZ代表で来た俺はいつのまにか子供達のサポーターと
仲良くなり、ユニフォーム交換を交わしいつの日か日本で戦う
約束をして、スケーボーに続きサッカー外交を果たした。

ここでまた改めてサッカーの人気を感じる事ができ、
サッカーは国民をも動かすことのできるスポーツ、
もちろんサッカーだけでなくスポーツと言う形の武器として、
戦争で争うのではなく、スポーツで争う方法として
世界を平和に変えることが出来るのではないだろうか?
これからの時代は戦争をやめて、
スポーツで正々堂々と戦っていきましょう。
未来の平和の為に、
意味のない巻き込みで殺される人達の為にも。