2008-12-30

今年最後の散歩









今年最後の散歩かな?
こちらも30日になると街中は賑やかで、メインストリートの
フロリダ通りもかなりの人で盛り上がっていました。
どこにいても新年はおめでたいことなのでしょう。
明日はたぶん店も大半が早い店じまいらしく、
僕らはビッグパーティーを期待してブエノスまで来たが、
情報が全くのゼロなので、どうなる事やら?

そうそう、面白かったのは、街を歩いていると、そこらじゅうに
シュレッターで切った紙がばら撒かれていて、本当に汚い街だな
と思っていたが、その理由は、ビルの上からいろんな人が
下に向かって紙を捨てているのを発見した。
神を捨てるのはどうかと思うが、そうではなく紙です、
しかも一人ではなく、オフィスビルらしきビルの窓から何人もが、
きっと、これは仕事納めの風習なのか僕らもそれは謎だけど、
下から見ている分にはとても綺麗なのですが、地面を見ると、
いったい何なのか?教えてください。

4月から旅を初め、もう少しで9ヶ月、南米もいよいよ、
あと少しの所まで来ました。
今年はたくさんの経験とたくさんの世界の人たちと
出会い、別れ、時には再会を果たし、数センチしかなかった
感情も今では数メートルまで大きく成長しました。
来年はその成長した全てを上手に旅(人生)にいかし、もっともっと
羽ばたいていきたいと思っています。
そして今はこうして旅を続けられる環境においてくれている
全ての人たち(宇宙)に感謝です。
ありがとう。
来年も4649!!!

”日曜骨董市”

ブエノス・アイレスへ着いて3日目、
僕らは宿から歩いて20分くらいの場所にある、
ドレーゴ広場でやっている骨董品市に行ってきました。
その日はちょうど天気も良く、今年最後の日曜日なので、
街はどんなに盛り上がっているかも気になっていたので、
その後は散歩でもしてみようと話しながら歩いていました。

ドレーゴ広場の近くからはすでに市は始まっていて、
まず僕らが目に付いたのが、キューバでも見かけた絵画通り?
個人のアーティストが様々な絵を売っていて、どれもみんな
カラフルに描けていて、タンゴの絵を中心に、若者から年配者まで
個性豊かなアーティスト達がツーリストや地元の人達に売っていた。
俺も何枚か気にった絵があったが、やはりブエノス、値段があまりにも
高くて買えるはずがなかった。

そしてドレード広場へ着くと、広場の中と廻りにアンティークの出店が
50軒以上並び、銀製品、革製品、ガラス製品、おもちゃ、レコード、
とにかく様々なアンティークの品物がひしめくほど売っていて、
これはやばい!欲しいものがたくさんあるぞ、と心配になりながら
一軒一軒ウィンドーショッピングを始めた。


骨董市と言われていたので、ある意味ガラクタ製品ばかりかと
思っていたが、どうやらそうではなく、おもちゃの種類などは
かなり豊富で、ブリキのおもちゃ、塩ビ、タミヤのプラモ、
日本で言ったらプレミアがつく商品もかなり売られていて、
値段は日本よりは安いが、しっかりそれなりの値段は付けられていた。

とにかく人は溢れんばかりで、スリが多いと聞いていたが、
これならば納得するほどたくさんの人達が買い物に来ていて、
僕らは1時間ぐらい廻ってみたが、
戦利品はマトリョーシカのキーホルダー5peso/170円、
あとは欲しいものはたくさんあったけど、値段が高いのと、
どうしても持っては歩けないので、買うのはあきらめました。

それ以外で、初めはイースター島で出会い、
そのあとも同じような道のりを進んではいたが、
なかなか会えずにいた鴨夫妻と偶然骨董市で出会い、
後日、食事でもと約束をして別れました。
年越しをブエノスでという旅行者はたくさんいるので、きっと
この数日で久し振りの旅行者にも会えるはずでしょう。

僕らはその後は、骨董市をあとにして、セントロへ散歩がてら
歩いて行くことにしました。

Buenos Airesへ

AM1:00  上野山荘で就寝
AM3:00  起床
AM3:45  上野山荘からタクシーでターミナルへ
AM4:00  ターミナルへ到着(すでに空は夜明けへ)
AM5:00  リオガジェゴスへ出発
       途中、チリへ入国、
       マゼラン海峡を渡る(船の横には白黒のイルカが先導)
       再び、アルゼンチンへ入国    
PM18:00  リオガジェゴス到着(そのままタクシーで空港へ)
PM18:30  リオガジェゴス空港到着
       ここは空港?空港内はツーリストが5人だけ、
       空港内のお店は全て閉まっていて、警備員が2人のみ、、
PM23:00  ようやく店が一軒開き、航空会社も開き始めた、、、
AM1:55   長かった待ち時間も終え、ようやくブエノスへ
        ちなみに待っている間は、ベンチで寝てました、、、
AM5:55   ブエノスアイレスへ到着(飛行機内は狭く、かなり揺れた)
       空港内で朝食?
AM8:00  宿へ向け、コレクティーボで出発
AM9:00  宿、ビクトリア2到着

ブエノスアイレスへ到着しました。
宿は通りに面していてバルコニーもあり、個室40Peso/1300円
目の前には大きな木が立っていて、日当たりも良く快適です。
ここで年越しを向かえ、しばらくゆっくりする予定です。

「南米のパリ」
想像とは少し違ったけど、これからブエノスをたくさん探索します。
色んな名所があるので、まめにブログをアップしたいです。

2008-12-26

”Skate Park from End of the World”









スケーターは繋がっていた。
最南端のウスアイアでも僕らを暖かく迎えいれてくれた。

ありがとう、Gracias,
友達、Amigo,
この2つの単語だけで十分だ。

中学生くらいの子供から二十歳を越えている大人まで、
みんな仲良く楽しんで滑っていた。
今までに色んな場所で見かけていたスケーターだけど、
まさかこのウスアイアでも、こんなにしっかりしたスケートパークが、
僕らを心から受け入れてくれて本当にありがとう。
また、いつか遊びましょう。

”監獄とアトリエ”

海軍基地内にあった元監獄が、半分は当時の様子を、
残りの半分はアトリエとして絵が展示されている場所へ
行って来た。

ウスアイアに最初に囚人が送り込まれたのが1896年、
1920年に監獄が建設され、一般の犯罪者や政治犯など
多い時には600人を超す囚人が居たという。
当時のことを考えると、コンクリートに包まれたこの監獄は
いかに極寒で辛かったはずかが想像できる。

建物は大きな丸の部屋を中心に半径上から4つの部屋が
伸びていて、その一棟、一棟は2階建てで両側に監房が
ずらりと並び、中央がふきぬけになっている。
少しだけ大きい部屋や、ものすごく小さな部屋、その突き当りには
共同トイレ、シャワーがあって、初めて見た監獄はまさに映画で見た
監獄と同じようにあった。



アトリエの方は監獄をそのまま使い、
全体的に白いペンキで壁は綺麗に塗られていて、監房の一つ一つが
展示室になっていて、何枚かの絵がその監房に飾られている。
絵に関しては何人ものアーティストの絵があり、風景画から
サイケデリックな絵までたくさんの絵が飾られていて、
見ごたえ十分だった。

「監獄とアトリエ」
ある意味ミスマッチだけど、ひょっとすると、どこか繋がる何かがあり、
それを考えてこの場所を作ったとしたら、その人は
ものすごいアーティストなのかもしれない。

本当ならば、この監獄の中にある、囚人服を着ながら働いている
というカフェバーでお茶でもしたかったけど、残念ながら開いてなく、
まあ、初めて監獄を見れたことだし、けっこう楽しかったです。

日本に帰ったら網走刑務所でも一度見に行って見たくなりましたよ。

世界の果て博物館

世界の最も南の町にある名前の通り、
「世界の果て博物館」へやって来た。

僕らはこの博物館に展示されている、
フエゴ島にいた4部族(オーナー、ヤーガン、アラカルフ、
テウエルチェ族)のことが以前から気になっていたからだ。
館内に入ってみると、外から見た通り、そんなに広くないので、
どこに部族の写真が展示されているのかと見まわしてみると、
入ってすぐ左にそのコーナーがあった。

そこには何枚もの写真が飾ってあったり、絵でどのような生活を
していたか示されていた。
説明はスペイン語表記なので、理解ができないけど、
どうやらお祭りの時にこの衣装?に変身?するらしい、
どう見ても僕らはウルトラマンに出てくる怪獣にしか
見えない(失礼をお許しください)、
なので、どうしても可笑しくなってしまう、、、


外から見れば昔の日本のちょん髷姿とたいして変わらないのかも
知れないし、今だにちょん髷をしていると思っている
外国人も少なくない(笑)、、、

それ以外の展示物は、パタゴニア地方に生息する動物、鳥、
の剥製があったり、よく分からない雑貨がいくつかあったりした。
個性豊かな不思議な博物館だった気がしたけど、
俺も麻実子もけっこう気にってしまった。
見物客もちゃんと入っていて、意外と楽しめた博物館だった。



僕らはお約束通りパスポートに記念スタンプを押してもらい、
狙っていた絵葉書もちゃんとゲットして、次なる目的地
元監獄と船舶博物館へ向かうことにした。

今は当時のままの監獄をそのまま使い、
半分はアトリエとして絵が飾られていて、残りの半分は
当時の監獄の様子が展示されている。
もちろんここでも記念スタンプが貰える場所なので、
しっかり貰ってきますよ(笑)。

”UENO SANSOU”

予定では3日間のウスアイア滞在予定でしたが、
僕らの泊まってみたかった上野山荘に泊まることが出来たので、
フライトとバスの予定日を変更して、6日間の滞在に伸ばしました。
多少手数料は取られたけど、上野綾子さんと一緒に
クリスマスを迎えたかったので、変更が出来たことに感謝です。

上野綾子さん(86歳)
現在一人でこの最果ての地で、僕らのような旅行者を
心から歓迎してくれるとても素敵なおばあちゃんです。
娘さんも、今はブエノスアイレスで別館をやっていますが、
綾子さんもこの地で一人でやりとりしています。
宿には100年以上前のドラム缶風呂があり、何ヶ月ぶりにゆっくりと
風呂に浸かることもできる、本当に暖かい最果ての地の日本人宿なんです。

僕らはここで素敵なクリスマスパーティーを迎えることが出来ました。
噂では上野山荘は満室で泊まれないだろうと情報が流れていたが、
そんな事はない、一度電話で確認してぜひ足を運んで欲しいところだ。
素敵な綾子さんと愛犬トゥルーチャと、白夜の町ウスアイアが
必ずに迎えてくれますよ。

2008-12-25

マゼランアタック!

AM3:00発のバスでカラファテを出発した。
まずは4時間乗ってリオ・ガジェゴスと言う町へ行き、
AM9:00発のバスに乗り換えて、僕らは「世界の果て」
最南端の町ウスアイアへ向けて再び走り出した。

このルートは普通のルートと違い複雑で、
別名「スタンプルート」でもあり、
アルゼンチンを出発して、一度チリに入り、
そこから南米大陸と僕らが向かっている町があるフエゴ島を
隔てるマゼラン海峡を船で渡り、再びバスで走り、もう一度
アルゼンチンへ入国するという、ちょっと面倒くさいルートです。

なのでパスポートにスタンプが出国、入国を含め、計4個押して
貰えるのです。
それ以外にもウスアイアでは、インフォメーションで最南端
証明書とスタンプ、世界の果て博物館でもスタンプ、
最南端の元監獄でもスタンプと目白押しのスタンプ地帯です。

せっかくなので僕らも全部ゲットする予定ですが、
滞在日数が3日間の為あまり時間がありません、
上野山荘に泊まれて、居心地が良ければ、
飛行機のチケットの変更も考えています、
ただし変更が出来れば・・・

マゼラン海峡では、僕らは一度バスを降りて船の甲板に出た。
対岸までの20分間を海を見ながら過ごすために、
不思議なことに外は全然寒くなく、たくさんの人達が同じように
海を眺めていた。
すると、すぐ下で何か泳いでいる魚を見つけた、
みんながそれを指で追いかけ、初めは何かな?マグロ?と
思って見ていたが、どうやらそれはイルカと言うこと、
こんなマゼランでもイルカが泳いでいるんだとちょっと嬉しくなり、
僕らは今回の旅で初めてに野生のイルカを見ることができた。

そして、マゼランアタックも無事に成功して、
ついに最南端の町ウスアイアまで来ることが出来た。
AM3:00に出発をして、何回ものバスの乗り降りを繰り返し、フエゴ島に
着いてからは吹雪の中をバスが走り、走ることPM22:00頃に
雨の中の町ウスアイアへ到着した。

僕らは夕方、予め部屋が空いているかを上野山荘に電話しておき、
確認していたので、すぐにタクシーをつかまえて上野山荘へ向かった。

そして着いてみると、上野山荘はこの時期にしては全然混んでなく、
僕らを含めお客は6人、少し驚いたけど
これなら居心地も良さそうなので、チケットの変更が出来るのならば
延ばしても良さそうかな?と二人して話して、
時間もAM25時を過ぎていたので僕らは就寝した。

2008-12-24

”AM3:00”

僕らは夜の22時くらいにカラファテへ戻ってきた。

そのまま宿へ戻り、預けていたバックパックを取って、
バスターミナルへ向かった。
時間がまだあるので、バックパックをターミナルで預け、
AM1:00まで空いているレストランへ行くことにした。

いよいよ、明日はマゼラン海峡を越え、
「世界の果て」最南端の町ウスアイアだ。
思えば4月にLAに入り、ようやくここまで来たか、
短いようで長かった9ヶ月、
クリスマス、年末を首都ブエノス・アイレスで過ごそうと
予定しているので仕方がない強行だけど、
明日はいよいよ最南端ウスアイアだ。

この場所には、上野山荘と言う日本人の
おばあちゃんが一人でやっている宿があるけど、
きっと人気なのでいっぱいで泊まれないだろう、
それでも3泊、「世界の果て」へ僕らは向かいます。

いつの日か、きっと

残念だったけど僕らは結局フィッツ・ロイ山を一望する
ことは出来なかった。

本当はすぐ目の前に聳え立っているはずなのに、、、

ミラドールから見えるフィッツ・ロイ山の中腹から上は、
雲に包まれ、時折、風で流れている雲の隙間からシルエットや
ラインが薄く見えるけど、
あのパタゴニアのロゴの様なはっきりとしたシルエットは
僕らは見ることは出来なかった。

悔しい・・・けど、

そういえば、ここまで来る途中に何人もの年配者のトレッカーと
すれ違った、そうか、また来よう、いつか必ず戻ってこよう、
子供も連れてここへ必ず来よう。
今回は残念だったけど、ここでは僕らの運など通用しなかった、
それでも、目の前に聳え立つフィッツ・ロイ山を想像しながら
手作りハンバーガーを食べる事ができたから、
今回はO.Kとしよう。

いつか、またあの家族ように。

そして僕らはまた2時間歩いて町まで戻った。
この日はこのまま、AM3:00のバスに乗って、
「世界の果て」
最南端の町、ウスアイアへ向かいます。